【塚ちゃんの生涯一記者】ヤクルト・衣笠剛球団会長はまさに〝鉄人〟! 2021年の大号令で最下位からまさかの日本一へ

ヤクルト・衣笠剛球団会長CEO兼オーナー代行の葬儀・告別式が21日、東京・増上寺で営まれた。

「あの人は鉄人だから」。複数の他球団の首脳から、こんな言葉を何度も聞いたことがある。2011年6月に球団社長兼オーナー代行に就任し、23年3月からは会長に。オーナーが兼任している広島を除き、どこも球団社長は5年前後で交代するもの。近年のヤクルトも同様で、1973-85年までの佐藤邦雄社長と並ぶ長期だった。14年も球団のトップとしてけん引していたのだから、まさに鉄人といっていいだろう。

「今度の社長は俺なんかと本社でのランクが違うから」。前任の鈴木正球団社長は球団職員に、後任の衣笠さんをこう評していたそうだ。その言葉通り、衣笠さんは本社から多額の資金を引き出し、2軍施設を改修、要所で補強費を増やし3度の優勝につなげた。

斎場に供花の名札が多く並んでいたが、松井秀喜さんのものもあった。何の接点もなさそうだが、2012年オフに衣笠さんはニューヨークへ出向き、レイズを戦力外となり所属先を探していた松井氏にラブコールを送っている。22年にはクライマックスシリーズ解説のため神宮を訪れた松井氏と再会。「あいさつ程度ですが。松井さんも『若い選手(村上宗隆)が出てきてうれしい』と喜んでいた」と衣笠さんは明かした。松井氏がヤクルトのユニホームに袖を通すことはなかったが、声をかけてもらった恩を忘れていなかったということだろう。

15年には成瀬善久、大引啓次を球団初となるFAダブル獲得。どちらも大活躍とはいかなかったが、14年ぶりにリーグ優勝。当時の編成担当は「初めて2人獲得することで『今年のヤクルトは違うぞ』というのを、対内的にも対外的にもアピールしたかった」と意図を説明していたが、これがカンフル剤になった。

20年オフは「プロ野球を持つ企業として、さすがに3年連続最下位はマズい」と大号令。山田哲人と7年契約を結ぶなど主力を残留させたが、これも球団の資金力だけでは不可能で、衣笠さんの力だった。ここ数年の山田は思うような成績を残していないが、あそこで引き留めに失敗していたら、21年の日本一、22年のリーグVはなかったのは間違いない。

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