トップフォーミュラPP回数で歴史を塗り替えた野尻智紀 遅咲きの男が後進に託す想い「たくさん経験させてあげられる環境を作りたい」

トップフォーミュラPP回数で歴史を塗り替えた野尻智紀 遅咲きの男が後進に託す想い「たくさん経験させてあげられる環境を作りたい」

TEAM MUGENの野尻智紀が、スーパーフォーミュラの歴史に新たに名を刻んだ。2025年のシリーズ開幕戦で、キャリア通算のポールポジション獲得回数が20回に到達。第2戦には早くもその記録を21回に伸ばし、1996年からのフォーミュラ・ニッポン時代から数えて歴代トップとなった。

従来のレコードホルダーは、シリーズタイトル通算4回の本山哲。平成以降の国内トップフォーミュラではその実績で右に出る者はいなかったが、野尻はそこに風穴を開けた形だ。

スーパーフォーミュラ参戦12年目を迎える野尻だが、彼もこれまで順調に数字を積み上げてきたわけではない。デビューから最初の6年間でのポールポジションはわずか3回だった。しかし8年目の2021年に初のシリーズチャンピオンに輝くと、2022年には10戦中6PPという驚異のスピードを見せて連覇達成。まさに遅咲きの苦労人である。

偉大な本山の記録に並んだ直後のインタビューで野尻は、自身の少年時代に思いを馳せ、地元の茨城から近い栃木県のツインリンクもてぎ(現・モビリティリゾートもてぎ)でフォーミュラ・ニッポンを観戦していた時のことを回想した。

「(1999年の)UNLIMITED Le Mansに乗っていた頃の本山さんを、もてぎのピットの上から見ていました。すごくかっこいいなと思っていて、この光景はすごくよく覚えています」

「そういった偉大な選手に、ポールポジションという記録ではありますが肩を並べられたのは非常に光栄なことだと思いますし、こういった経験を自分にさせてくれた方々、これまで支えてくれた方々のおかげだと思っています。本当に助けてもらってばかりなので、感謝だけですね」

野尻はフォーミュラ・チャレンジ・ジャパンや全日本F3といったステップアップカテゴリーで好成績を収めていたとはいえ、チャンピオン獲得経験はなし。4輪レースでのタイトルは2021年のスーパーフォーミュラまで待たなければならなかった。だからこそ本人は、そんな状況でも自分にチャンスを与えてくれた人たちへの感謝の気持ちを口にしているのだ。そして自分がしてくれたことを、後進たちにもしてあげたいという気持ちも持っている。

大きなマイルストーンを達成した野尻に、苦労してきたキャリア初期のことがよぎったのではないかと尋ねると、彼はこう答えた。

「自分がSFに来るまでの成績って、今乗っている他の選手たちからしたら『よくそれで生き残れたね』というくらいの成績だと思います」

「でもその中で、色々な経験を積ませてもらい、自分を鍛える環境を常に与えてもらったことで、これまで多くのポールポジションを積み重ねることができました。もし自分が環境を作れる側の人間なら、これまで自分がしてもらったように、たくさんの経験をさせてあげられるような環境を作ったりしたいなと思いますね」

「どの仕事であっても同じで、ある程度舵取りのようなものをしてあげると成功により近付きやすいのかなと思います。そういった、自分を常にプッシュしてくれた人たちがたくさんいたからこそ、ここまで実績を積めたのだと思います」

今も国内トップカテゴリーの第一線で戦う35歳の野尻だが、今季のスーパーフォーミュラ・ライツではDELiGHTWORKS RACINGのレーシングアドバイザーも務めている。チームのドライバーは荒尾創大と三井優介の元ホンダ育成ドライバー。奇しくも共に、ミドルフォーミュラで好成績を収めるも、あと一歩足りずメーカーの支援から外れてしまった若手だ。酸いも甘いも経験してきた野尻の言葉は、挫折を味わった若武者たちにどう響くか。

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