ファンサービス抜群の玉鷲は、みずからスマホを持って写真撮影=2024年9月9日、両国国技館
40歳4カ月の玉鷲(片男波)が西前頭7枚目に番付を上げ、春場所(9日初日・エディオンアリーナ大阪)に挑む。
初土俵から続ける連続出場は歴代1位となったが、毎場所2つぐらいは記録ネタが出る。もはや玉鷲もあまり気にしておらず「引退した後に話のネタになるかな」と答えるのが恒例となっている。
初場所で9勝を挙げ、史上2人目の40代で2場所連続勝ち越し。千秋楽は勝てば敢闘賞の一番で琴勝峰(25)=佐渡ケ嶽=に敗れ、旭天鵬に並ぶ三賞の年長記録を逃したが、今後最年長記録を打ち立てる可能性は十分ある。
そんな玉鷲が初場所中に「玉鷲という人間をもっと磨きたい。人として。そのためには勉強しなければ。(力士を)20年やっているけど、まだ自分では気づいていないことや、わからないことがたくさんある。相撲は下手だし」と驚くようなことを言い始めた。
「下手ですか?」と質問すると、しばらく考えた後に、前を見据えて口を開き始めた。
「今でも下手。いつうまくなるの? 押し相撲は(相撲が)うまくならない。(自分は)天才ではないし、すごく不器用。だから楽しみ。いろんなことがあるから楽しみ」。
モンゴル出身者は日本の高校や大学を経て入門する力士が多いが、玉鷲は相撲経験がない中で努力を重ね優勝2回。人柄も素晴らしく、ファンサービスも抜群。地方場所宿舎の近隣の人たちを大事にし、いつも感謝の思いを口にする。家庭ではよきお父さんで、非の打ちどころがないようにみえるが、まだまだ成長中だという。
よく玉鷲の相撲は若々しいと解説されるが、支度部屋で取材していても、肌に張りがあり衰えはみられない。最高齢の幕内力士は昭和11年5月場所で引退した能代潟の41歳1カ月。年6場所制となった昭和33年以降では旭天鵬(現大島親方)の40歳10カ月が3番目の高齢で、他は明治、大正生まれ。玉鷲には最年長幕内はもちろんのこと、不滅の大記録を樹立してもらいたい。(塚沢健太郎)